川喜田半泥子物語-石水博物館

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Eテレ日曜美術館で、川喜田半泥子展を取りあげていて、若宗匠の解説にいたく、感銘を受け、近郊でもありますので、早速く、石水博物館に、23号線を通って行ってきました。

道中は何といっても、木曽三川の雄大で風光明媚な光景(木曽川は太古、名古屋を流れていたのですが、西側が低いので、だんだんおいやられていき、多度、養老山系にぶつかって水郷輪中を作り出した)です。
その時の真赤な鉄橋をわたる川風が、気持ちよかったです。
そしてずっと走っていき、津に入り、JR阿漕駅の踏切を渡って、目的地に到着しました。
この阿漕駅は、あこぎな事をの語源になっています。
阿漕という漁夫が伊勢神宮の御料場で禁漁を度々犯し、その罪で海に沈められたことによります。
もう一つ近くに亀山のとなり、関宿は、祭の山が街道いっぱいの巾で通ることから、せきのやまの語源になっています。

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半泥子は百五銀行の頭取で、陶芸は趣味でやりはじめた人です。
その作品にはしゃれがきいているが、反面、実用性から少し離れているような気がしました。

出品の中から、

①津の藤堂家旧蔵、伊賀水指破袋の写しの 慾袋は、青海波柄の漆でついでいる所の 発想がじつにおもしろい。

②粉引茶碗、雪の曙、釉薬のあわい桃色がすてきで、口がかけて、手のあとのぼかしが、なんともいえない景色になっている。

③井戸茶碗、渚、釉薬の翡翠色が、なまめかしく、たれていて、みずみずしさを感じる。

一つ目についたのは、茶室、山里が再現してあり、掛物が三千家、愈好斎宗守、即中斎宗左、淡々斎宗室による雪月花の墨書で、昭和17年、京都岡崎つる家での茶事で半泥子の為に揮毫したもの。
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(追)山里の命名は、同教室の横井氏の祖父がされ、字は益田鈍翁です。
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楽しみの食事は、桑名までもどり、柿安で食べ、お菓子司、花乃舎に寄り、うす皮の桜餅、抹茶をいただいて、春の先どりを味わい、帰りました。

花乃舎の店内の花

福寿草、卜伴、侘助
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↓石水博物館様のパンフレットより
石水博物館 石水博物館

(NHK水曜 I.N. 記)




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