平成27年3月30日、名古屋は桜が満開でした。
桜の古木を前にすると、昔の人はこの桜を誰とどのように見たのだろうと想像がふくらみます。
桜に関する利休さんの逸話もいくつか伝わっているようです。
【その1】
ある春の日、利休は一畳台目の茶室の天井にひる釘を打ち、釣花入に咲き乱れた糸桜の枝を茶室いっぱいになるくらい入れた。
そして、その茶室に秀吉を招いた。
躙口から入った秀吉は、立つことも頭を上げることもできず、桜の枝の合間にやっとの思いで座ることができた。
秀吉は怒るどころか、この趣向にとても機嫌をよくしたという。
時代は下って、江戸末期~明治初期、京都の茶人が寒い冬の日、やはり一畳台目に大きな梅の枝を飾り茶会を開いた。
客たちは、最初はその趣向にとても感心していたが、寒い日のこと、釜の湯気が席中にこもりはじめた。
それが、やがて水滴となって客の襟元にぽたぽたと落ちだし、せっかくの趣向が台無しとなってしまったという。
【その2】
利休が秀吉あるいは荒木村重を茶事に招いたときのこと。
床には花入が置かれているのみで花がない。
不思議に思っていると、利休が桜の枝を持って「散ればこそ、散ればこそ」と呟きながら花入に入れた。
桜の花びらが舞い散って、春の風情が増した。
客は散り際の美しさを愛でる趣向に関心したという。
逸話というものは、面白おかしくなるように、尾びれ背びれが加わって伝わってゆくものですので、真偽は定かではありません。
ですが、「その2」はまだしも、「その1」はいかがでしょうか。
利休さんは限られた花と道具の取り合わせから、客の想像力を喚起して、茶室に居ながら桜の咲き誇る野山へ客を連れ出すことのできる人であったと思います。
そう考えると、利休さんが直接的に茶室を桜で満たす室礼をするということには、何か違和感を覚えます。
「その2」についても、花の咲いているところよりも、咲く前の蕾や散り際に美を見出していたということで、もっともそうな話ではありますが、
やはり「散ればこそ、散ればこそ」と呟きながら花入れに・・というのは・・・、
ちょっとおかしなおっさんですよね。
利休さんがそんなことするかな?という疑問が残ります。
桜の花びらを数枚散らしておいた、といったことなら納得できますけど。
でも、まぁ、こういった逸話は夢があっていいですよね・・。
(NHK水曜 F.M. 記)