流派による作法の違い-客の手の重ね方

先日の

略盆点前の復習

で少し触れましたが、
最近、流派によるお点前の違いが気になるようになり、
表千家と裏千家の教本を見たりしています。

「そんなことは武者小路千家の点前が完全に身についてからやれ!」
という声がどこからか聞こえてきそうですが・・・。
確かにその通りかもしれません。

しかし、それはそれ。
なぜそのような違いがあるのか、理由が知りたくなってしまうのです。

そこで、先ずは三千家の違いをと思い、教本を読み始めたのですが、
その違いの多さに閉口しました。
点前どころの話ではなく、歩き方からお辞儀のしかたまで、ことごとく異なるのですね。

例えば、お茶会などで客として正座している時、両手をどのように置くか。

武者小路千家では、左手が上、右手を下にして重ね、膝の上に置きます。
表千家も左手が上、右手が下。
裏千家は、右手が上、左手が下のようです。

左手が上で右手が下の理由としては、
「動」を表す右手を「静」を表す左手で抑えるため、
と聞いたことがあります。
右手は刀を抜く手でもあって、その右手を左手で抑え込むことで、
相手に敵意のないことを表現しているとか。

左手が上で右手が下の理由としてもう一つ、
着物と同じだから、
とも聞いたことがあります。

どちらももっともらしいのですが、
後者はシンプルで何の抵抗もなくスッと入ってきました。
確かに着物と同じ重ね順の方が美しいような気もします。

裏千家で右手が上で左手が下なのは、
十四代家元の無限斎がそのように定めたからとのこと。
なぜ右手が上で左手が下に定めたかというと、
座禅の手の組み方(法界定印)をひっくり返すと右手が上になるからだそうです。

茶禅一味と言うくらい、茶の湯と禅宗は密接ですので、
なるほどと思わせるものがあります。

では、なぜ座禅の手の組み方(法界定印)は、手のひらを上にして、左手が上で右手が下なのか。

直接的な答えは、道元禅師が「坐禅儀」の中で左手が上と書いたため、
ということのようですが、その理由は定かでないようです。

仏教の発祥の地、インドでは逆で、右手が上で左手が下だそうです。
インド人はカレーを左手を使わずに右手で食べる、というように、
インドでは右手が清浄を表し、左手が不浄を表します。
清浄で不浄を抑えるという意味から右手が上なのだそうです。
仏像も右手を上にして組んでいるものが多いそうです。

道元禅師が左手が上と定めた理由については、色々な方が推測されていますが、
悟りを開いたお釈迦様と修行僧が同じなのは失礼だから、
とか、
着物を着て坐禅する際に、後から左足を乗せる方が左前の着物が乱れにくいという実用的な理由が先にあり、手はその足の組み方にならった、
といった理由を挙げられているようです。

ここで、また着物との関係が出てきました。
結局、そこなのでしょうか・・・。

参考サイト:
http://zazenstyle.com/chapter1/chousin/hokkaijouin/
http://okwave.jp/qa/q600218.html

(NHK水曜 F.M. 記)



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