先日の
に関連して、
三千家の盆点前を独習してみました。
と言っても、本を読んだだけですので、間違っていることもあるかもしれません。
そこはご指摘いただけると助かります。
まず違うのは、名称です。
官休庵、武者小路千家では「略盆点前」ですが、
不審庵、表千家では「略点前」、
今日庵、裏千家では「盆略点前」、
となっており、「略」という言葉は共通するものの、微妙に異なった呼び方になっています。
成立はというと、
表千家は十三代即中斎により戦後に定められ、
裏千家は十三代圓能斎により大正初期に創案、
武者小路千家は十二代愈好斎、十三代有隣斎により、昭和十年代の中頃に成立したとのことです。
表千家が一番遅いということが意外だったのですが、
以下のブログに略点前の成立に関する記述がありましたので、引用させていただきます。
碌々日記
http://ameblo.jp/seiga-bachiru/entry-11587268965.html
教本によると略点前は
幕末の表千家家元吸江斎が10歳にもならぬ頃に
南紀徳川家へ出仕するにあたり
後見役が簡略な盆点を考案したそうで
その後即中斎が略点前として作り上げたとのことです。
吸江斎の後見役が幕末に考案したとのことですが、それであれば何となく納得できる気がします。
表千家の略点前および裏千家の盆略点前は、
通常の点前同様に畳の上で瓶掛や火鉢を用いることを前提に考えられているようですが、
武者小路千家の略盆点前はテーブルと椅子の生活を強く意識しており、
湯についても瓶掛という言葉は使われず、ポットを意識したものとなっています。
そのため、武者小路千家だけ成立時期が新しいように感じていたのです。
流派による作法の違い-略盆点前その2
流派による作法の違い-略盆点前その3
流派による作法の違い-略盆点前その4
(NHK水曜 F.M. 記)