日曜美術館で昭和を代表する作庭家「重森三玲」について放送されていました。
斬新な日本庭園の数々に圧倒されましたが、
この方、お茶にも深く通じておられたとのことで、
番組内でも次のように語っている姿が紹介されていました。
僕は庭を研究している人に
茶をもっとしっかりやれと言うんだけども
日本の茶室がそこにできてくるのは
なぜああいうものを作ったかといえば
美の殿堂であり道場として作るわけで
そういう中でなぜ茶を飲むかということは
美を全部溶かして飲むということが茶であり
これを少し大げさな言い方をすれば
宇宙を飲んでるわけなんで
だからお茶を一服飲むということは
宇宙を飲むということをわからなければ
飲む必要はないと思うね
流石におっしゃることが哲学的です。
そんな重森三玲さんが自ら設計した茶室・茶庭「好刻庵(こうこくあん)」も番組内で紹介されていました。
重森三玲さんの旧宅は重森三玲庭園美術館として公開されており、
江戸時代に建てられた立派な書院の前に重森三玲さん作の枯山水庭園があり、その横に好刻庵が位置しています。
自邸であれば、躙口があるような小間の草庵茶室を造りそうなものですが、
この方、そうではないようです。
やはり書院前の枯山水庭園が絶対的であって、茶室も戸を開け放ってその庭を眺めることができるように設計したのでしょうか。
同じく吉備にある重森三玲作の茶室、天籟庵(てんらいあん)も同様に草庵茶室ではありません。
茶室を草庵茶室にすると、眺めることが目的ではない茶庭(露地)が必要になります。
重森三玲さんは、「作庭は石組みに始まり、石組みに終わる」と言っておられたようですので、
石組みを考え抜いた自分の造りたい庭がまずあって、その庭と対になる茶室はどうあるべきか、
といった考えで茶室が設計されたのではないでしょうか。
結果、草庵茶室ではなくなるという。
石組みに並々ならぬ拘りのある方からすると、蹲くらいしか石組みのない露地は物足りないのかもしれません。
重森三玲さんは「茶庭」に関する著書をいくつか執筆されているようですので、
草庵茶室の露地についてどのように考えていたのか、読んでみたくなりました。
NHK日曜美術館「永遠のモダン 京の春・重森三玲の庭」
http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/2015/0517/index.html
(NHK水曜 F.M. 記)
数年前に日曜美術館をを見て、
ずっと忘れられないでいた重森三玲の言葉でした!
こうして記録してくださっていて、ありがとうございます。